ふたり

筆がのってるときじゃなきゃかけないです。

結婚についてかきます。
元日婚しました。一月一日に籍を入れて、
いまわたしは藤野じゃありません。

藤野じゃなくなって三週間以上たったいま、結婚についてどう考えているかをかきます。

まず、結婚、かなり良い感じです。
かなり幸せな感じがします。
今まで味わったことのない気持ちです。
23歳になって、まだまだ新しい感情に出会えることがすごく嬉しいです。
どう幸せかというと、やはり彼氏と家族になったというところにあると思います。

全くの他人なのに、家族なんですよ。でもよく考えると、父と母も他人同士でした。血のつながりは、よく考えると子供としか持てないものなんですね。だから父と母が家族たる証拠は、戸籍という、そんな、本人たちが決めた事項としてしか存在しないんですよね。
だけどわたしにとって母と父はお互いがまぎれもなく家族です。きっとどの方にとっても両親は血のつながりを持つ自分と同じ「家族」だと思ってて、それに疑ったこともないでしょう。

わたしは結婚して初めてそのことに疑いを持ちました。だって、わたし自身が彼氏が家族になったという実感がないのだから。
だからまだやっぱり家族だったらしないような遠慮とかしちゃって、そのあとアレ?家族だから別にいいのか、って思ったりします。
彼氏が旦那になったというのは、彼氏の延長線上で、一個上のステージに上がったということではないと感じました。旦那というのは彼氏とは全く違った、家族という別のステージに乗っているとわたしは思います。

もう一度家族ってなんなんだろって考えたいです。
だから、変わったことに合わせて行こうと、付き合ってるときはあんまり仕事の愚痴とか詳しく言わなかったけど、家族だったら言うよなって、自分から話すように意識をするようになりました。
今になって分かったんだけど、彼氏にはここまで話す、みたいなボーダーを無意識に設けてたみたいで、でも家族になったいま、ボーダーを少し超えたとしても、そんなちょっとしたことじゃお互いの関係は変わらないと思ったからです。
まずそこなんですよ。結婚したらよっぽどのことがない限り、関係が変わることってないんですよ。
それってほんとすごいというか、今までと違うというか、、
五年くらい付き合ってたけど、こんだけ付き合っててもなおやっぱりその怖さが全くなかったわけではないし。だからだいぶ今気を抜いて接しています。だらだらしたり、できないところダメなところをあえて見せちゃったり、加減があるとは思うので全部が全部あけっぴろげには見せませんが、、

あとは、ぶっちゃけよりラブラブになれます。
五年くらい付き合ってるから、正直そんな変わんないだろ、って思ったけど、やっぱりなんか、変わりますね。より好きになります。
気持ちが新鮮です、、。

なんにせよいまはだいぶハッピーな感じです。
頑張って2人で生きていきます。
夫婦二人三脚とはほんとによくできた言葉だと思います。今まで以上に相手のことを思いやって、支えあって助け合って、もう1人の自分として、付き合っていくことなんだなと、すごくしっくりきます。しかも自分だけがそれをすればいいってことじゃなくて、相手もそうやって自分を支えて助けてくれますからね。2人分の力は、やっぱり1人より心強いです。

今後はわたしの心の変遷とかを記録していけたらなって思います。

そうですね

寒いですね、
毎日とても寒いです。

なんとなく文章を書くことが仕事でも増えてきたため、ブログをそれなりに更新して文章をかくことに慣れておこうと思います。ツイッターに投げる文は適当すぎてたいした練習にはなりません。
でも高校二年生の冬から始めたツイッターのおかげで、自分の考え方を文章にしてまとめたりする癖みたいなのはついたと思います。


仕事の話をするのがいいでしょうか、
それとも結婚の話をしたほうがいいでしょうか。
仕事のはなしをします。
入社して大体9ヶ月くらいになりました。

ありがたいことなのか毎日予定がびっしりつまってて、スケジュール帳がないと仕事ができなくなってしまいます。大学生の時は何度買っても続かなかったのに、、普通に考えて、まあ暇だったんだろうな〜と   
ただ社内共通の手帳になったので、あの可愛いロルバーンの手帳を使えなくなってしまったのは寂しいですが。


社会人になって、そして9ヶ月働いて、その経験は確実にわたしに変化をもたらしています。
大きな変化の一つとして、それは大人に対する苦手意識が薄れてきたという点です。


わたし、親戚の人とか苦手だったんです。いつも親族の集まりでは、お母さんやらお兄ちゃんにひっついてモジモジしてるような子でした。たぶん自分が何もできない子供だという引け目と、それに対する大人からの評価とかが嫌だったんですかね。
でもこないだお正月のさい親戚に会った時、それなりに大きな声でテキパキと会話ができたんですね。会話のほかにもお皿片付けたり荷物まとめたり、
ただ全く平気になったってわけじゃないです。できれば接触は避けたいっす。だから克服できたわけじゃないんだけど、社会人になって色んな大人の人たちと接する機会が増えたので、そーゆうスイッチを入れることができるようになったんだと思います。その場に求められてる自分の役割とか、いままでは分かっててもなーんか腰が重くてできなかったんですけど、いまはきちんと行動してその役割をまっとうしてるというか。

そこで気づいたのは、苦手は克服できなくても、繰り返すことで慣れることができるということなんですね。
今でも仕事は辛いことばっかです。ただ、その辛さに慣れてきました。たまにまだ気持ちがダメになっちゃうときもあるんですが、それでも入社時よりかは辛さを冷静に受け止めれている気がします。
そしてこの辛さに、大変さに慣れるということが、みんながよくいう「強くなる」ということだと思いました。

会社の先輩から、強くなった強くなったと言われます。それは私が辛いことを繰り返すうちに、辛さに対する耐性ができたからです。
耐性ができたというだけなので、辛いことに慣れはしてきたけど、辛いという事実に変わりはありません。なんでこんな思いをしてまで働かねばいけないのか、としょっちゅう思っています。どうせなら辛くなりたくない、だからいま頑張って繰り返してなんとか慣れて、いつかは辛くなくなりたいんです。そして一番のゴールは楽しくなることなんです。


この前先輩がわたしに言ってくれたのは、3年間続けないと楽しくならないよ、でも3年続ければ楽しくなるから、という言葉でした。
至るシーンで腐るほどこの3年という言葉は使われていますし、どこにそんな根拠があるんだよ、とも思いますが、実際わたしから見たら大変すぎる仕事を先輩は楽しんでやっています。先輩みたいになりたいから、まだまだ続けることにしました。とりあえず一年は!

わたしはまだ楽しくなれるかもという可能性が見えているからまだ辛さに耐えられています。けれども中には耐えなくていい辛さもあると思っています。
それは例えば世間でいう虐待だったり、みなし残業だったり、そういった不当な仕打ちの種類の辛さに耐える必要は全くないです。
だから、ただ単純に辛いことを我慢して耐えることが美徳だとか偉いことだとは一切思いません。それに加えて、いちばんやってはいけないのは、ひとに辛さを耐えることを強要することだと思ってます。だからわたしもこんなに耐えてるんだからお前らも耐えろというわけではないです。
辛いなんて考えるな、という話でもありません。辛いときはアー、辛い、とそのまま感じて、受け止めればいいと思ってます。
そのときにワア!と溢れてしまうのではなく、この辛さ、前にもあったな〜と客観的に見れるようになれれば、強くなった証なんじゃないでしょうか。


これは私が私へのエールとしての文章でもあります。本当にいま毎日仕事が大変で、追われて、まだ大口叩いてでも仕事ができるなんて言えないけど、でも少しづつ慣れては来てるから、まだやれそうだったらもー少し繰り返してみてくれよ、と自分に言っておきます。
いまでも十分がんばってるよ、もっと頑張んなきゃいけないみたいでうんざりだね!でも頑張れるんだったら、頑張ってほしいなと、自分に思います。

架空モロッコ旅行記

4月×日

ついにこの日が来た。私のモロッコ一人旅が今ここに幕を挙げる。日々の喧噪から離れたこの地で神聖なものに触れたい、そう思いたったら次の瞬間にはもうこの地に足を降ろしていた。


私がモロッコを訪れるにあたって選んだ時期は4月。昼は暖かく夜は涼しいという旅をするにはとっておきの季節だ。その前情報通り、今日は実に過ごしやすい気候だ。身にまとったユニクロのウルトラライトダウンの蛍光色と同じくらいに私の心は浮かれている。バックパックにたくさんの思い出をつめて帰りたい。


このの目的はとてもシンプルである。モロッコの神秘的な空気に触れたい。またモロッコの都市は路地が迷路のように入り組んでいる特徴を持っているらしいので、子供のころの冒険心を取り戻しながらその構造も楽しみたい。


まず一日目はマラケシュ観光。最初の目的地であるマラケシュジャマ・エル・フナ広場に向かう。ここは「メディナのへそ」と呼ばれる場所である。ここで搾りたてのオレンジジュースを屋台で買う。ものすごく味が濃いこんなに美味しいオレンジジュースは初めてだ。今まで自分の中に抱いていた砂漠やラクダといった乾いたモロッコのイメージからはかけ離れていた。

 マラケシュの象徴であるクトゥビナの塔が堂々とそびえたつのが見える。高鳴る気持ちを止められない!心を落ち着かせつつバヒア宮殿を目指していく旧市街から歩いて15分ほどで到着。入場料が10dhとお安い。中は中庭を取り囲んだ伝統的なイスラム建築で、精密な彫刻が美しい。国王が宿泊することもあるのには納得した。

そしてスークへと向かう宮殿を離れるとどんどん道が細くなっていく。想像以上に幅が狭い!そして幾重にも道が分かれているため、自分がどこを歩いているのかも分からない。バブーシュやランプなどカラフルな商品が並ぶ道はさすがに人で込み合っているが、一本でも人気のない袋小路へと入ると辺りは静まりかえっている。市民たちが家の中を出入りしていた。


分かったこととして、スークでは男が主に商売をしており、女性は買い物にいそしんでいる。働く女性はほとんどいないし、買い物やモスクでの参拝以外の目的で外を出歩いている女性は少ないようだ。ここでは女性と男性の居るべき場所の区分が明確にされている。これはガイドブックで読んだ話だが、この狭く細い道の高さや狭さはイスラム教の教えに沿ってつくられているという。適当につくられたわけではなく、その都市構造は緻密に作られたものなのだ。

歩いているとモスク周辺に広場や水飲み場が設置されているのことが分かった。職人たちの働く音がそこらじゅうから聞こえ独特な匂いがたちこめている。目的もなくブラブラすることで私はモロッコの迷宮の洗礼を受け、そしてこの街が人々にあたえる恩恵を感じた。暗くなってきたのでフナ広場へ移動し屋台でタジン料理を食す。たっぷりの香辛料と野菜が美味しかった。今日は見るものすべてに情報量が多く、また歩き回ったため目も脚もクタクタである。食事後すぐにホテルへと戻り就寝。明日は一日移動だ。

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4月○日

今日は列車に乗りフェスを目指す日だ。寝起きに飲むオレンジジュースと朝食に出されたパンの美味しさに感動する。4月の朝はまだ少し冷えるため料理の暖かさにホッとした

7時間の列車の旅を経てフェスに到着したころにはもうあたりは暗い。予約していたリヤドへとタクシーで向かい。レストランで夕食。明日のスケジュールを考え早めに寝ることにした。

明日はいよいよこのたび一番の楽しみであるフェス観光だ。期待を胸に抱きながら就寝。

 

4月□日

起床し早速支度後メディナへのもっとも代表的な入口であるブー・ジュルード門へと向かう。

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大きくアーチに施された美しい青の装飾は気分を高めてくれる。伝統色、フェズ・ブルーだ。

まずは街の中心部にある北アフリカ最大のモスク、カラウィン・モスクを目指していく。メインストリートはあまり広くはないが、メディナでは一番広い道だそうだ。通りは昼でも暗いく、細い路地に入りたくなる欲求にかられる。様々なものを売る市場を経て歩くこと15分、先にアッタリーンマドラサに着く。神学校だ。中に入ると混み合っていたスークの道とは違い、ここはとても静か壁や柱に精巧な細工や模様が施されている。イスラム建築を見るたびにその模様の美しさと、どれくらいの月日をかけて建築されたのかが気になる。屋上へ向かうとフェスの街を見渡せ、白や赤茶色の色をした家々がひしめきあっている。

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私は今一人だが、多くの人々が確かに存在し、生活していることが感じ取られるこの町のおかげで、淋しさを感じることはない。ここでは狭い空間から解放されて一息つくことが出来た。

神学校を出て少し進むと旧市街の中心地にあるカラウィン・モスクに到着。イスラム教徒以外は立ち入ることができないため、周辺を散策する。門の中には噴水が見え、教徒たちが手や身体を洗っているのがみえた。カラウィン・モスクの裏側には金物市場が広がっていた。職人たちの作業の音がそこかしこから聞こえてくる。楽しいリズムを刻んでいるようにも聞こえる。モスクに着くまで最短の道を歩いてきたはずだったが、スークやらロバやらに関心を持っていたことでもう昼を過ぎてしまった。人通りに人が少なくなってきたのはそのせいだったのか。気になっていた邸宅を改装したレストランに入る。屋台に比べるとかなりの贅沢だが、旅には思い切りも必要だ。メディナの街は歩いても歩いても歩ききれないのだから、食べて体力をつける。中は豪華なタイル張りになっており、壁にかかった装飾品豪華だ。ソファーに座り振る舞われたタジンやクスクスの料理はどれも美味で、最後に出されたミントティーを飲みながら、ついつい長居してしまった。

街を出てからはショッピングのためスークを歩き回る。バブーシュとオイルを買っていくと、友人たちに約束してしまっているからだ。フェスのスークが一番品数が多いらしい。色とりどりでユニークな形のランプにも目移りしながら、そしてつい買ってしまったお菓子をつまみながら(どれもものすごく甘い。モロッコの人々は甘党だ)、何件もの道を巡り、交渉の末一番大量に安く売ってくれる店があったのでそこでバブーシュを購入し、女性が多く集まっていた店でモロッコの美容オイルを購入した。ショッピングだけでも目が回るかと思った。

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日もくれてきたため、リヤドへ帰り、中のレストランで食事をした後は寝ることにした。今日はもうクタクタだ。フェスのパワーに当てられたせいかもしれない。街全体が生き物みたいだと考えながら、気付くと眠りに落ちていた。

 

4月◆日

今日の前半はフェスの新市街を巡る。旧市街に比べて町並みは綺麗というか、ヤシの木が並んでいて近代的というか、お店もカフェや高級ブランド店が並んでいる。メディナからこちらへ移り住む人もいるんだろうか。若者も比較的多い。新市街を3キロほど歩くとメディナへと着く。しかし今日はメクネスへと向かう日だ。名残惜しい気もするが昼には列車に乗りフェスとおさらばした。といってもフェスとメクネスは列車で30分と比較的近いのだが。また聞くところによるとメクネスのメディナはフェズと比べて歩きやすいらしい。モロッコに慣れてきたのもあり、もう不安はほとんどない。

駅から降りてまず向かうのはエディム広場だ。爽やかな青空が広がる。15分ほど新市街を歩くとメディナの入り口エルマンスール門へ着く。なんといってもこの門、めちゃくちゃに大きい。圧倒されながら中へと入っていく。メクネスはオリーブやブドウが美味しいらしく、エディナ広場に着いて早速その味を堪能した。広場には3つの噴水があり、屋台などが並ぶ。昼食はここで済ませた。スークの真ん中にはグラン・モスクがあり、ひときわ背の高いミナレットがそびえたっていた。そこからジャメイ博物館でモロッコの歴史に触れ、ヘリ・スアニという穀物倉庫や、美しい装飾のクミス門を見た。歩き疲れたらレストランへ入り、メクネス・ワインを嗜む。マラケシュ、フェズと目まぐるしく活動してきたが、旅も終盤を迎えつつあり、今日はのんびりとメクネスの街の雰囲気に身をまかせた。


私はこの4日でモロッコをすっかり気に入ってしまった。良い意味で人に構う余裕がないというか、皆それぞれが日々自分の役割についてやることを全うしている。変な確執など考えていない。その日を生きていると感じた。特にどこのメディナにも言えることとして、確かにテクノロジーの面では不便かもしれないが、工夫と協力でこれまでやってきたのだ。パワーというか、こういう生き方もあるのだなあと思った。

日本に戻ったら、たくさんの人にこの話をし、

文にしたためようと思う。

2015年3月17日、静岡文化芸術大学を卒業しました。

本当に四年はあっという間で、今もあまり実感が湧きません。

わたしはいままで沢山の選択をしてきました。それはコトやモノだけではなく、人にも対しても言えることです。
とても高慢な言い方に聞こえるかもしれませんが、誰しもがそうしていると思います。
そして、わたしの四年間のその選択は間違いがなく、良すぎるといっていいくらいの結果になりました。

わたしの周りには本当に、びっくりするくらいひとりひとりが心から尊敬できるところ、羨ましいところ、見習うべきところがあるんです。
わたしは、人同士の良い関係とはお互いがお互いに敬意を持つことだと考えています。敬意なしの良い関係はあり得ないと思っています。

とても嬉しく思ったのがそこの部分で、周りも私に対して敬意をもって接してくれているということがすごく分かるんです。見下したり、貶めようとしたり、嫌なレッテルを張ったりといった接し方をされたことがないし、例えその気持ちを持ってしまったとしても、そんな自分のことを恥ずかしく、嫌だと思うことがみんなキチンとできるんです。すごくないですか!?!!
良くない部分はきちんと叱ってくれたり、アドバイスを真剣にしてくれたり、そういった面でも本当に感謝してるし本当に自慢です。指摘してくれる人の貴重さ!
こんなにも人の気持ちがわかり、それを考えての行動ができ、自分の考え方もしっかり持っている人たちに囲まれることが出来るなんて、入学したときは思っていませんでした。
わたし自身この四年間ですごく変わったと思います。良い方向に変われたと思います。人は環境でつくられると言いますが、そこは本当に恵まれました。選択したのは自分だし、あまりこういうのは使いたくないけど、「運」もめちゃくちゃ良かったと思います。

入学当初のわたしは、なんでも「=」で結んで決めつけてわかった気になるクソダサいやつでした。でも大学に入って、「≠」の考え方を学びました。大学のみんなと接することと、国際学科として受けてきた講義の中でも大きく学んだことのひとつです。「≠」の考え方を持てたことで心にも余裕が出来、視野も広くなったし、クソイカすやつに近づけました。

わたしはそんな今の自分が好きです。それは好きなひとたち、好きなコトやモノが作ってくれた自分だからこそです。
好きにならなきゃみんなに申し訳ない!
自分のことが好きだとそう言えるわたしにしてくれてありがとう。
だから、わたしの好きなひとたちにも自分のことを好きになってほしいです。自信を持ってほしいです。あなたたちが好きだと言ってくれるわたしが好きだと言っているんだから、大丈夫です!保証をするのはわたしだと見せかけて実は自分で自分に保証してあげることになるんです。何回も何回も言ってるけど「自分好き」はトレンドだよ!

もう学生ではなくなったわけですが、この四年間を励みにして四月から頑張ります。これからみんなが活躍する姿を見るのも楽しみすぎる!!心と身体両方の健康を大切にしてください!みんなよく藤野なら大丈夫って言ってくれたけど、それをそのままそっちに返す!友達って相手に対して思ってることを相手も同じように考えてくれてるって都合良くとかではなくちゃんとそう思えるから素敵だね!

高校の友人や家族も含め、関わってくれたみんなの幸せだけを祈ってます。わたしはみんなだけは幸せになってほしいです。なるべきだと思っています。頼むから幸せになってください。わたしも幸せになります。そしてそれをまたみんなが幸せだと思ってくれれば、それほど嬉しいことはありません。

この度はご卒業おめでとうございます。
四年間仲良くしてくれて、いろいろ助けてくれて、一緒にいてくれて、本当にありがとうございました!!!お世話になりました!!
これからもよろしくね!!
恥ずかしくていままで言いたかったけどあんまり使えないできた言葉、「だいすき」を使うよ!
だいすき!!!!
おわり!

今日は1日彼氏のお仕事のちょっとしたお手伝いをしてた。
時間がかかるし大変だったけど一緒にいれるから全然平気だな〜って思った。

ほんとにほんとに大好きだな〜
ずっと一緒にいたいな
優しくてかっこよくて面白くて賢くて
スーパーマンみたいな人だな、
スーパーマンみたいな人に好きって言ってもらえて
それだけで自分のことも好きになれる
ずっと一緒にいられますように

おわり

ちゃらんぽらんだった君のほうが

やばい、更新が停滞ぎみ

あと2回バイト頑張ればディズニー💗
あと3回バイト頑張ればエスパーニャ💗


靖子ちゃんの好きな歌詞 

「超不安だから超食べちゃう
   太っていいよとか言わせちゃう

   ちゃらんぽらんだった君の方が
   ちゃんとしちゃうくらい甘えちゃう」

あまいって曲の一節
すごい好き


問題のあるレストラン

が今週も面白かった。

「傷つき世代」って言いかた、すごいなっておもった。どいつもこいつもすぐ傷つきましたっていいやがって〜っとドラマ中では言ってましたが、世代とかではなく、今やっとそれを声にして出せる人が増えてきただけで、それまで沢山のひとが沢山の「傷つきました」って言葉を飲み込んで我慢してきたのではと思いました。そう思うと、やっぱ込み上げてくるものがあるんですよ。

仕方ないで済ませてきた背景も女の人の強さにつながってるかもしれないけど、それってあんまいい我慢じゃないし、向き合っていかなきゃいけないよな〜〜〜

このドラマをみるといつも考えちゃうな。戦いたいわけではないのだけど、すごく感情が、そっちの方向にむくむくと、、狙い通りって感じかよ〜

でも結構すき、このドラマ!
菊池亜希子のとこも話が進みそうでいい!

東出くんという癒しもあるよ
なんども言うけど男の人が嫌いってわけじゃないから


  • あたまが痛くて気持ち悪い
おやすみ、

おわり